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大久保忠寛 (深徳院弟) : ミニ英和和英辞書
大久保忠寛 (深徳院弟)[おおくぼ ただひろ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほ]
  1. (n,vs) guarantee 
: [おとうと, てい]
 【名詞】 1. younger brother 2. faithful service to those older 3. brotherly affection

大久保忠寛 (深徳院弟) : ウィキペディア日本語版
大久保忠寛 (深徳院弟)[おおくぼ ただひろ]
大久保 忠寛(おおくぼ ただひろ、元禄7年(1694年) - 享保2年10月2日1717年10月24日))は、江戸時代旗本紀州藩大久保忠直の長男で、徳川吉宗の側室お須磨(深徳院徳川家重生母)の弟。母は紀州藩士内藤幸右衛門守政の娘。通称、八郎五郎。娘に笹本喜福の妻。喜福の子の大久保忠省(ただみ)を養子とした(のちに実家の笹本に復する)。
紀州藩に仕え、享保元年(1716年)徳川吉宗が将軍に就任するとその小姓となり、旗本として下野国都賀、河内両郡において700石を給う。しかし、翌年24歳で没する。法名は日性。墓所は牛込・仏性寺。その後は、弟の往忠が継ぎ、姉・お須磨の縁により5000石の大身旗本となった。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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